最近は光学・音響技術を駆使して場所や空間全体を作品として体験させる「インスタレーション」が話題ですが、実は日本には昔から「環境を作品化」する伝統文化があります。それが「大名や豪商・茶人の野点(のだて)」・・・気持ちのいい野外で季節感を楽しむ「ひと時の贅沢」です。居間を気持ちのいい空間にするのではなく、気持ちのいい場所を居間にする。それを最低限の「道具」で実現する。もしそれを日常化したら・・・「人生の意味」はガラリと変わります。風や雨が見舞われたらどうするって?近未来では窓や屋根がせり出して「昔の居間」に戻ります。まずは仮想風景で風景と同化する官能を擬似体験して下さい。

風景の魔性 郷愁の風景画報 陶酔の風景Slide 暮らしたい風景Slide 芸術の風景Flash
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風景の魔性に陶酔する
「いい風景と魔性の風景の違い?」

「観光地へ行って人生観が変わる人は少ない。あくまで日常の延長だからです。魔性の風景とは生活感から抜け出た世界です」

「脱生活感の先に何があるのは?」

「”生命感”です。それもゾクゾクするような。実体は酸欠状態の日常生活から抜け出た”蘇生感”。細胞が甦る官能です。単なる開放感とは桁違いですよ」

「単なる開放感でも気分はいい」

「それは一過性の気分。のめり込む官能とは違いますよ」

「風景を見るたびにのめり込んだら生活できませんよ」

「それこそ官能です。尤も空想少年・夢少女の原風景がなければそんな衝動は湧きません。魔性の風景とはその原風景・原体験の世界に浸かることで細胞が酸素で満たされる状態ですから」

「小説や映画に夢中になるのも同じでは?」

「それも立派な疑似体験。感動は細胞が憶えていまよ。例えば 暮らしたい風景を見れば、行ったこともない外国なのに懐かしさに包まれます」