陶酔 / Academia

見果てぬ夢は人間だけではありません。街が見ていたアメリカの幻影です。
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原風景「風景の夢」  うっとり探偵団「アカデ ミアサロン」 Academia Salon by Uttori Tanteidan 


「雪の降る街を、思い出だけが通り過ぎてゆく」・・・これほど「空想少年」を刺激する歌詞はありません。「人が街を通り過ぎながら思い出に浸る」なら判りますが「思い出のほうが通り過ぎる」って?もしかしたら思い出の中を街が通り過ぎてゆくとか・・・想像できません。子供にとって「通り過ぎるもの」とは生き物以外では車か列車か船、コッペパンにみえる雲だけ。いずれも「カタチ」があるものです。じゃあ思い出ってどんなカタチをしている?・・・大人は答えられません。「空想できないもの」って何だ・・・そして気付きます。ないものを想像できる筈がない。何かに置き換えているに違いない・・・空想少年の誕生です。「天女」や「羽衣」なんてオーロラを見たのかも知れない・・・こうして意気軒昂な空想少年時代を過ごした元少年も老人になった今、考え直します。オーロラは太陽フレアで発生したプラズマが地球の電離層に当たって発光する自然現象なんて「頭」で理解するより、得体の知れない妖しい神が空に舞っていると「感じる」方が遥かに細胞が酸素で満たされます・・・元「空想少年」が科学や論理を超えた先にある「陶酔の風景」を探検します。

言葉だけでは何のことか判りませんが映像を見て感じる風景(光景)というものがあります。例えばこの映像。「白日夢の街を、記憶だけが通り過ぎてゆく」・・・人影のない100年前のな風景は白日夢のようで、妖しく輝きながら過ぎ去る雲は記憶そのものです。この白日夢を創り出しているのは昔の「ガラス乾板」の超高精度の写真と、高解像度のデジタル画像を早送りで連続再生することで、現実にはあり得ない雲の動きを作り出す「タイムラプス」という最新技術の合体によるものです。1827年、J・ニエプスがピンホールから差し込む光を初めて平面像として化学的に固定することに成功して「写真」が誕生した時、初めてこれを見た人々は「悪魔の所業」として恐れました。現実の風景が物質に転換したからです。画家が風景を描くのはあくまで「創作」ですが、現実を写し取る写真は初めから「幻影性」を帯びていたといえます。それから190年後。現実には有り得ない「仮想世界」を再現して、好きな時に、好きな場所で、好きな行動や生き方を自分で組み合わせて「擬似体験」できる時代になっています。「IT」対「人間」なんて議論がありますが、やがてデジタルが「進化」すると現実と仮想が逆転する・・・「喜怒哀楽」とか「情感」なんて懐かしい言葉は死語になって「感情と呼ばれていたもの」はアドレナリンやドーパミンといった化学物質の挙動として記号で表現されるかも知れません。その時「神と呼ばれていたもの」はどうなっているのか誰も予想できません。