国道134号線は横須賀と茅ヶ崎までの三浦半島を一周する延長60.4kmの海岸道路。一部は箱根駅伝のコースとしても有名で、特にテレビや雑誌に登場するカフェやレストラン、ギャラリーが海岸線に並ぶ葉山一帯は大人気。首都圏から一直線に南下する高速道路が134号線に直結しているので、行楽シーズンには渋滞は半端ありません。当然、混雑を避けるため早めに帰路につくので、最高の風景「日没の海辺」を味わう人は多くありません。更にすぐ傍に時空を超えた風景が広がっていることも知りません。ハイカラな葉山から脇道へ入って僅か5分。時間が止まったような別世界が忽然と現れます。山奥の過疎地のような佇まい、子供の頃に見た一本道や浜辺の番小屋。染み透るような鄙びの風景です。で画像拡大

 


意図的につくられた風景にはどこか媚があります。原宿・代官山・自由が丘。人気スポットの多くは地中海世界のモノマネです。当然「本場」とは比べようがなく大人の感性には耐えられません。「その点、媚びないおまいらは偉いよな」と鄙びの風景に聞けば「そうですかね~。単に取り残されているだけのような気もしますが・・・」「そう言ったら元も子もないよ。実体はどうであれ大人をうっとりさせるのだから・・・。勿論「よそ者」の身勝手な言い分に過ぎませんが、「鄙び」にはひとつの価値があることだけは知ってほしい「うっとり探偵団」でした。 →  画報トップへ戻る 

tou_top 原風景アカデミア「鄙び」
「”ひなび”なんて地元の人にとっては上から目線の言葉じゃないんですか?」

「”地元”という言い方だってそう。今時、地方と都会なんて分類する感覚のほうが時代遅れ。むしろ都会では手に入らない”うっとり風景”の中に住む方が遥かに贅沢です」

「憧れと劣等感はコインの裏表ですね?」

「昔は近代的なビルとか高収入の職場が憧れだった。ところがイザそんな場所で生活しているとどこかで違和感を感じる。細胞レベルの話です。イタリアなんかでは都会に出ても結局故郷へ帰ってくる人も多い。収入を犠牲にしてもそれを上回る”何か”があるから」

「それが鄙びの風景なんですか?」

「子供時代に培った細胞と風景の相性みたいなものはあるかも知れませんね。しかし深いことを言えばコンクリートの固まりの中で生まれ育った人間のほうが、都市文明とのギャップが大きいような気がします。この”ぼんやりした不安”はいつか社会病理学の対象になるかも知れません」

「故郷へ戻ればスッキリといくんですか?」

「出てきた人は帰るところがある。帰る場所がない人はどこに行くのか。帰巣本能を失った生き物は不幸です。その意味ではこうした鄙びた風景を”心の原風景”として提供するという発想のほうがヘタな地域起しより効果的です」

「街の公園なんかより遥かにうっとりです」

「日比谷公園とか代々木公園ほどの規模ならともかく、都市計画のおまけのような公園では本当の意味での人間同士のつながりなんて生まれません。共有する空間が余りにも粗末。そこには何の物語もありません 」

「よく物語の話が出ますが風景の主役なんですかね?」

「主役は人間。風景は舞台です。どうせなら”うっとりする舞台”で物語を紡んだほうが官能的ですよ」

「今の社会が無機的なのも物語を育む舞台がないから?」

「人間は環境の産物でもあります。無我夢中で嵌っている時には目もくれないのに、フト我に返った時に失ったものの重要性に気づく・・・人は失って初めてその価値に気づくといいますからね。近いうちに都会には”原風景難民”が溢れるような気がします」