晴天の行楽日、風景は「客」が求める絵葉書のような光景を描き出して大サービス・・・誰もが同じような写真を撮って、美しい夕日も見ないで帰路を急ぐ。道が混むからです。「ノー天気な大衆相手にイイ天気なんて、馬鹿馬鹿しくてやってられませんよ!」・・・そんな風景の愚痴を聞けるのは妖しい雲が流れる荒天の午後。風景は我に帰って思いのたけをぶちまけます。「判った、判った。おまいの言うとおりだ。まあ、そう波風を立てなくても・・・」なんて慰めても大粒の涙を流して留まるところを知りません。こうなると手が付けられません。探偵団も現実に戻ります。「あれっ!雨だ!バイクが濡れるから帰ろっと!」・・・。
で画像拡大 →  画像トップへ戻る  「荒天」の覚醒動画 →   YouTube 動画「荒天の風景」 

 

優れた映画監督や映像作家の作品を観れば一目瞭然・・・何のこと?「心象風景」のことです。これほど風景の本質を表した言葉はありません。勿論「うっとり探偵団」は文学的薀蓄ではなく、なぜそれが荒天の日なのか。特に雲が流れる淀んだ空に白波が立つ海はそれだけで何かを暗示して我々の脳を覚醒させます。これは異変を感じ取る本能の作用なのか、得体の知れない象徴作用なのか探偵団の脳も風雲急を告げるのであります。

tou_top 原風景アカデミア「素面」

「素面?風景は普段は酔っている?」

「観光客は晴れた日にしかこないので、荒天は風景にとって安息日かも・・・風景を擬人化した話です」

「天気が悪ければ来ないのが普通では?」

「よく言えば健康的、悪く言えば素人。荒れた風景には物語性があります。映画を観れば一目瞭然、主人公の情感と実際の風景に重ね合わせて見事に内面を描写していますが、大抵は荒れた天気です」

「風に吹かれたり、雨に濡れるのが嫌なんでしょうね?子供でもいたら面倒」

「それこそ風景を文字通り ”肌” で感じる絶好の機会。真面目で健康的な人には無理かも知れません。車の中からだっていいし、第一、道は空いていますよ」

「そうかも知れませんが・・・」

「恐らく他人と同じ行動をとらないと不安なんじゃないですかね。花見がいい例で、本当に花を愛でたいなら誰もいない時に来て静かに花と対峙すればいい」

「要は酒を飲んで騒ぐのが目的」

「まあ気分発散やコミュニケーションも大切ですが自然や風景とは関係ない場所でやって欲しいですね。郊外の工場跡地とか夜の学校なんてシュールでいいかも・・・ 」

「話を戻しますが ”荒天” は天変地異の予感にも通じますよね?」

「いい指摘だね、明智君!生物が先天的に備えている異変の感覚・・・その本能的な刺激が脳を覚醒させるのかも知れません。天気のいい日にはそんな刺激はありませんからね」

「その覚醒感が荒天の本質ですね?」

「その通りです。荒天で空を舞う鳥も、逃げる準備とか、飛んでくる虫を補足するとかいうより覚醒を楽しんでいるんじゃないですか?」

「考えすぎでしょうね」